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osaki / togoshi-ginza

2013/07/28 実験音楽スクール/杉本拓

13時〜16時
料金;受講生2000円 + ドリンク (単発の見学は1500円 + ドリンク)

 

 今回やってみたいことを少し具体的に書いてみます。やることは、演奏と作曲。そしてそれについて考えること。完全な即興演奏はやらないつもりです。参加者には何か楽器をひとつ(または複数)やってもらいます。ギターでもタンバリンでもハーモニカでもなんでもかまわないのですが、今回は所謂楽器でないもの、例えば、ターンテーブルとかエレクトロニクスなんかはなしにしましょう。途中から気が変わる可能性もありますが、最初はなしということでいきます。最終目標は、──これは“ヴァンデルヴァイザー”のあり方を踏襲しているのですが──、参加者でバンドを作ってもらい、メンバーの作る楽曲をそのバンドで演奏する事です。こういう目論みがあるので、単発の参加では困るのです。その準備としてのカリキュラムは以下のようなものになる予定です。

 図形楽譜

 テキスト・ピース

 その他(五線譜に書かれたもの等)

 ファウンド・オブジェのための曲

 楽器の特性を生かした曲

 とりあえず思いつくのはこんなところですが、順番にひとつづつやるとは決まってなくて、行きつ戻りつ進行する可能性が大です。成りゆき任せの展開もあるでしょう。それぞれ、作曲と演奏のふたつの方向からせめていくつもりです。演奏してもらう曲はこちらで用意します。五線譜に記譜されたものはなるべく簡単なものを用意するつもりです(そういうものしか持ってないというのもありますが)。五線譜にまったく縁のなかった人もいるかもしれませんが、その場合は何かうまい方法を考えて対応したいと思ってます。通常の意味において演奏が困難なものはやりません。また、そういうものを作る事も推奨しないつもりです。その理由は、今までまったく演奏体験を持たない人もいるかもしれないし、難しい曲を練習している時間がない、という実際的なものです。そういうものではなくて、誰でも(というのは語弊がありますが)演奏が出来て、なおかつ別の意味で集中が必要で、そして意義深い、そういうものの方に実験音楽のエッセンスがあると思うからでもあります。しかし、まあ、どうなるかは分かりません。

 

 “実験音楽スクール”について

 何であれ──アカデミックか商業的なものは除いて──「実験音楽」はカネにならない。演奏家であれ、批評家であれ、オーガナイザーであれ、レーベル・オーナーであれ、「実験音楽」だけでメシは食えない。少なくとも日本では、それだけに関わっていて生計を立てることはほとんど不可能に思える。自分を例にあげると、私は、演奏は言わずもがな、レーベル経営の他に、コンサートを企画もするし、文章だって書いている。にも関わらず、まったく儲からなかったし、そうなる予感もない。身の回りを見ても、事情は同じだ。「金にならない」は「実験音楽」の必要条件だと言いたくなるくらいである。

 では、アメリカやヨーロッパ等ではどうか? どうやら現状は厳しそうである。以前だったら──特にヨーロッパでは──、国や市からの助成があり、それが音楽家の生活や非営利の演奏会場の運営を支え、また’フェスティヴァルも盛んであったが、多くの助成が次々に打ち切られている様子である。ヨーロッパの友人達は口々にそのことを憂えているし、いくつかの非営利組織からは助成打ち切りに反対する署名や寄付を募るメールが良く来るようになった。

 グローバルな観点からも、「実験音楽」がこれからますます斜陽産業になることは間違いない。この世界において、世間で言うところの「プロ」は極少数になるだろう。──まあ、もとよりそれは「産業」なんかではないが。

 しかし、だからと言って、実験音楽に関わることが単なる暇つぶしを超えない、とは思わない。それはもはや私にはなくてはならないものである。極端な話ではあるが、その他の音楽が地上から消え去ったとしても、それがあることによって救われる、実験音楽は私にとってそういうものなってしまった。もちろん、多くの音楽はそう簡単には消え去ったりはしない。それに、それらの音楽のおかげで実験音楽が成立している部分だってある。他のものを完全に否定する必要はまったくない。音楽に限らず、多くのものとの関係の中にこそ重要な何かがあるのではないか? ここを考えてみると、実験音楽ほど面白いものはないのである。それは一生を賭けるに値するテーマになりえる。

 しかし、正直私もお金がほしい。そこでこんな企画を考えてしまったのである。うまいぐあいに人が集まれば、多少の現金が懐にはいる。だが、うまくいかない気がしないでもない。ひとりも来ない可能性すらあると私は思っている。なにしろ「実験音楽」はカネにならないのだから。次の問題はどうやって教えるかである。結論を先に言うと、どうやっても「教える」ことは出来ない。作曲するにしても、演奏するにしても、そこで模範となるものが何なのか、それがはっきりしないからである。つまり、良し悪しの判定が難しい(あるいは、究極的には、そんなことはする必要がないとも言える)。しかもそれは「音楽」の中でだけ完結するようなものではない。最終的には自分で考えて実践するしかない。ただ長年の経験からアイデア──それは当然ある種の偏りを持つ──をいくつか提示することは出来ると思っている。それは、何もない空間に窓を作ったり、椅子や机を置いたり、電灯を灯したりするようなことかもしれない。まずはそれらによって生じる景色を足がかりにしてスクールを始めてみたい。(杉本拓)

2013/06/23 実験音楽スクール

18時〜21時
料金;受講生2000円 + ドリンク (単発の見学は1500円 + ドリンク)

 

 今回やってみたいことを少し具体的に書いてみます。やることは、演奏と作曲。そしてそれについて考えること。完全な即興演奏はやらないつもりです。参加者には何か楽器をひとつ(または複数)やってもらいます。ギターでもタンバリンでもハーモニカでもなんでもかまわないのですが、今回は所謂楽器でないもの、例えば、ターンテーブルとかエレクトロニクスなんかはなしにしましょう。途中から気が変わる可能性もありますが、最初はなしということでいきます。最終目標は、──これは“ヴァンデルヴァイザー”のあり方を踏襲しているのですが──、参加者でバンドを作ってもらい、メンバーの作る楽曲をそのバンドで演奏する事です。こういう目論みがあるので、単発の参加では困るのです。その準備としてのカリキュラムは以下のようなものになる予定です。

 図形楽譜

 テキスト・ピース

 その他(五線譜に書かれたもの等)

 ファウンド・オブジェのための曲

 楽器の特性を生かした曲

 とりあえず思いつくのはこんなところですが、順番にひとつづつやるとは決まってなくて、行きつ戻りつ進行する可能性が大です。成りゆき任せの展開もあるでしょう。それぞれ、作曲と演奏のふたつの方向からせめていくつもりです。演奏してもらう曲はこちらで用意します。五線譜に記譜されたものはなるべく簡単なものを用意するつもりです(そういうものしか持ってないというのもありますが)。五線譜にまったく縁のなかった人もいるかもしれませんが、その場合は何かうまい方法を考えて対応したいと思ってます。通常の意味において演奏が困難なものはやりません。また、そういうものを作る事も推奨しないつもりです。その理由は、今までまったく演奏体験を持たない人もいるかもしれないし、難しい曲を練習している時間がない、という実際的なものです。そういうものではなくて、誰でも(というのは語弊がありますが)演奏が出来て、なおかつ別の意味で集中が必要で、そして意義深い、そういうものの方に実験音楽のエッセンスがあると思うからでもあります。しかし、まあ、どうなるかは分かりません。

 

 “実験音楽スクール”について

 何であれ──アカデミックか商業的なものは除いて──「実験音楽」はカネにならない。演奏家であれ、批評家であれ、オーガナイザーであれ、レーベル・オーナーであれ、「実験音楽」だけでメシは食えない。少なくとも日本では、それだけに関わっていて生計を立てることはほとんど不可能に思える。自分を例にあげると、私は、演奏は言わずもがな、レーベル経営の他に、コンサートを企画もするし、文章だって書いている。にも関わらず、まったく儲からなかったし、そうなる予感もない。身の回りを見ても、事情は同じだ。「金にならない」は「実験音楽」の必要条件だと言いたくなるくらいである。

 では、アメリカやヨーロッパ等ではどうか? どうやら現状は厳しそうである。以前だったら──特にヨーロッパでは──、国や市からの助成があり、それが音楽家の生活や非営利の演奏会場の運営を支え、また’フェスティヴァルも盛んであったが、多くの助成が次々に打ち切られている様子である。ヨーロッパの友人達は口々にそのことを憂えているし、いくつかの非営利組織からは助成打ち切りに反対する署名や寄付を募るメールが良く来るようになった。

 グローバルな観点からも、「実験音楽」がこれからますます斜陽産業になることは間違いない。この世界において、世間で言うところの「プロ」は極少数になるだろう。──まあ、もとよりそれは「産業」なんかではないが。

 しかし、だからと言って、実験音楽に関わることが単なる暇つぶしを超えない、とは思わない。それはもはや私にはなくてはならないものである。極端な話ではあるが、その他の音楽が地上から消え去ったとしても、それがあることによって救われる、実験音楽は私にとってそういうものなってしまった。もちろん、多くの音楽はそう簡単には消え去ったりはしない。それに、それらの音楽のおかげで実験音楽が成立している部分だってある。他のものを完全に否定する必要はまったくない。音楽に限らず、多くのものとの関係の中にこそ重要な何かがあるのではないか? ここを考えてみると、実験音楽ほど面白いものはないのである。それは一生を賭けるに値するテーマになりえる。

 しかし、正直私もお金がほしい。そこでこんな企画を考えてしまったのである。うまいぐあいに人が集まれば、多少の現金が懐にはいる。だが、うまくいかない気がしないでもない。ひとりも来ない可能性すらあると私は思っている。なにしろ「実験音楽」はカネにならないのだから。次の問題はどうやって教えるかである。結論を先に言うと、どうやっても「教える」ことは出来ない。作曲するにしても、演奏するにしても、そこで模範となるものが何なのか、それがはっきりしないからである。つまり、良し悪しの判定が難しい(あるいは、究極的には、そんなことはする必要がないとも言える)。しかもそれは「音楽」の中でだけ完結するようなものではない。最終的には自分で考えて実践するしかない。ただ長年の経験からアイデア──それは当然ある種の偏りを持つ──をいくつか提示することは出来ると思っている。それは、何もない空間に窓を作ったり、椅子や机を置いたり、電灯を灯したりするようなことかもしれない。まずはそれらによって生じる景色を足がかりにしてスクールを始めてみたい。(杉本拓)

2013/06/09 実験音楽スクール

13時〜16時
料金;受講生2000円 + ドリンク (単発の見学は1500円 + ドリンク)

 

 今回やってみたいことを少し具体的に書いてみます。やることは、演奏と作曲。そしてそれについて考えること。完全な即興演奏はやらないつもりです。参加者には何か楽器をひとつ(または複数)やってもらいます。ギターでもタンバリンでもハーモニカでもなんでもかまわないのですが、今回は所謂楽器でないもの、例えば、ターンテーブルとかエレクトロニクスなんかはなしにしましょう。途中から気が変わる可能性もありますが、最初はなしということでいきます。最終目標は、──これは“ヴァンデルヴァイザー”のあり方を踏襲しているのですが──、参加者でバンドを作ってもらい、メンバーの作る楽曲をそのバンドで演奏する事です。こういう目論みがあるので、単発の参加では困るのです。その準備としてのカリキュラムは以下のようなものになる予定です。

 図形楽譜

 テキスト・ピース

 その他(五線譜に書かれたもの等)

 ファウンド・オブジェのための曲

 楽器の特性を生かした曲

 とりあえず思いつくのはこんなところですが、順番にひとつづつやるとは決まってなくて、行きつ戻りつ進行する可能性が大です。成りゆき任せの展開もあるでしょう。それぞれ、作曲と演奏のふたつの方向からせめていくつもりです。演奏してもらう曲はこちらで用意します。五線譜に記譜されたものはなるべく簡単なものを用意するつもりです(そういうものしか持ってないというのもありますが)。五線譜にまったく縁のなかった人もいるかもしれませんが、その場合は何かうまい方法を考えて対応したいと思ってます。通常の意味において演奏が困難なものはやりません。また、そういうものを作る事も推奨しないつもりです。その理由は、今までまったく演奏体験を持たない人もいるかもしれないし、難しい曲を練習している時間がない、という実際的なものです。そういうものではなくて、誰でも(というのは語弊がありますが)演奏が出来て、なおかつ別の意味で集中が必要で、そして意義深い、そういうものの方に実験音楽のエッセンスがあると思うからでもあります。しかし、まあ、どうなるかは分かりません。

 

 “実験音楽スクール”について

 何であれ──アカデミックか商業的なものは除いて──「実験音楽」はカネにならない。演奏家であれ、批評家であれ、オーガナイザーであれ、レーベル・オーナーであれ、「実験音楽」だけでメシは食えない。少なくとも日本では、それだけに関わっていて生計を立てることはほとんど不可能に思える。自分を例にあげると、私は、演奏は言わずもがな、レーベル経営の他に、コンサートを企画もするし、文章だって書いている。にも関わらず、まったく儲からなかったし、そうなる予感もない。身の回りを見ても、事情は同じだ。「金にならない」は「実験音楽」の必要条件だと言いたくなるくらいである。

 では、アメリカやヨーロッパ等ではどうか? どうやら現状は厳しそうである。以前だったら──特にヨーロッパでは──、国や市からの助成があり、それが音楽家の生活や非営利の演奏会場の運営を支え、また’フェスティヴァルも盛んであったが、多くの助成が次々に打ち切られている様子である。ヨーロッパの友人達は口々にそのことを憂えているし、いくつかの非営利組織からは助成打ち切りに反対する署名や寄付を募るメールが良く来るようになった。

 グローバルな観点からも、「実験音楽」がこれからますます斜陽産業になることは間違いない。この世界において、世間で言うところの「プロ」は極少数になるだろう。──まあ、もとよりそれは「産業」なんかではないが。

 しかし、だからと言って、実験音楽に関わることが単なる暇つぶしを超えない、とは思わない。それはもはや私にはなくてはならないものである。極端な話ではあるが、その他の音楽が地上から消え去ったとしても、それがあることによって救われる、実験音楽は私にとってそういうものなってしまった。もちろん、多くの音楽はそう簡単には消え去ったりはしない。それに、それらの音楽のおかげで実験音楽が成立している部分だってある。他のものを完全に否定する必要はまったくない。音楽に限らず、多くのものとの関係の中にこそ重要な何かがあるのではないか? ここを考えてみると、実験音楽ほど面白いものはないのである。それは一生を賭けるに値するテーマになりえる。

 しかし、正直私もお金がほしい。そこでこんな企画を考えてしまったのである。うまいぐあいに人が集まれば、多少の現金が懐にはいる。だが、うまくいかない気がしないでもない。ひとりも来ない可能性すらあると私は思っている。なにしろ「実験音楽」はカネにならないのだから。次の問題はどうやって教えるかである。結論を先に言うと、どうやっても「教える」ことは出来ない。作曲するにしても、演奏するにしても、そこで模範となるものが何なのか、それがはっきりしないからである。つまり、良し悪しの判定が難しい(あるいは、究極的には、そんなことはする必要がないとも言える)。しかもそれは「音楽」の中でだけ完結するようなものではない。最終的には自分で考えて実践するしかない。ただ長年の経験からアイデア──それは当然ある種の偏りを持つ──をいくつか提示することは出来ると思っている。それは、何もない空間に窓を作ったり、椅子や机を置いたり、電灯を灯したりするようなことかもしれない。まずはそれらによって生じる景色を足がかりにしてスクールを始めてみたい。(杉本拓)

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